それも人生

友達が少ないのでひとりごとを言っている

映画「となりの怪物くん」・感想 まじでセンスない/怒りの1万字全キャストレビュー

随所で全く話題になっていない、「となりの怪物くん」を観に行きました。
ゼロの執行人を見たときの予告編で意外といいキャストなのでは…?と思ってしまったんですよね。

 
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この記事で言いたいことは、
・土屋太鳳まじすごい、ほんとうにいい仕事をしていた。
・日本エンタメ界はこれ以上少女漫画原作でゴミみたいな作品を作らない努力をしてほしい。
の二点です。


ネタバレの可能性については分からないです。何がネタかもわからなかったので。


 


脚本がよくなかった


となりの怪物くん」のあらすじはこちら

行動予測不能な超問題児で“怪物”と呼ばれる春(菅田将暉)と、ガリ勉&冷血の雫(土屋太鳳)は、二人とも恋人はおろか、友達もいない。二人は高校1年生の4月、雫がとなりの席で不登校の春の家に嫌々プリントを届けに行ったことがきっかけで出会う。

それ以来、春は雫を勝手に“初めての友達”に認定し、さらに唐突に「シズクが好き」と告白。仕事で家にいない母親に認められるために、幼い頃から勉強だけを信じてきた雫にとって、友達や恋人などはただの邪魔な存在でしかなく、はじめは無関心だったが、やがて春の本当の人柄に触れ、次第に心惹かれていく。そして春と雫の周りには、夏目(池田エライザ)、大島(浜辺美波)、ササヤン(佐野岳)ら、いつしか個性豊かな友達が増えていった。初めての友情、初めての恋愛。そして、春のライバル・ヤマケン(山田裕貴)の登場により、初めての三角関係も巻き起こり、二人の世界が変わっていく。それは春と雫にとって、初めて“みんな”で過ごす時間だった。

そんなある日、春の兄・優山(古川雄輝)が春のもとに現れたことがきっかけで、春は絶縁状態だった父親の元へ突如連れ戻されることになり、雫の前からも姿を消してしまう。

なぜ、春は“怪物”になったのか? そしてその真実が明らかになったとき、春と雫の恋の行方は −−−?

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このあらすじ時点でダメ映画の臭いがむんむんしますね。
ていうかこのあらすじ全然映画見たくならないでしょ…。読みにくすぎる。普通に朱を入れたい。二段落目の二文目、「仕事で家にいない~次第に心惹かれていく。」の文とか絶対分けるだろ。校正が入ってないのかと心配になります。


原作を読んでいたらこんな面白くないあらすじを書くはずがないと思うのですが、本編のストーリーがゴミ改変に次ぐゴミ改変なので仕方がないのかしら。たしかに映画だけを見ていると、なんのときめきもキャラへの愛も抱きようがないのでこんなローテンションな書きぶりになってしまうのかもしれないです。この映画に関わった多くの大人たちに同情します。一番の戦犯は脚本家だと思います。


あらすじをだけを読むと、この映画のメインは「ハルの過去に隠された真実」だと誤解してしまうのですが、そこがまじで的外れすぎる。
となりの怪物くんを読んだことがある人なら共感してもらえると思うのですが、となりの怪物くんの見どころといえば、キャラの魅力じゃないですか。ストーリーとかあんまり覚えていないけど、雫ちゃんの真面目だけど不器用なところ、ハルの無邪気さ、夏目ちゃんの素直さ、ササヤンの見た目と裏腹にいちばん精神的大人なところ、好きだな~~~っていうのが私の原作の感想です。


ハルとヤマケンは三角関係ではなかったと思うんですよね。ぐいぐい来るヤマケン、しかし全然気のない雫、好意が空回りしちゃったりアピールがへたくそで雫にうまく伝わらないもどかしさとかに、「ああ~ヤマケンかわいい~~~プライド高くてかわいい~~~イケメンだけどかわいい~~~」って悶えるのが私は最も感情の高ぶるところだったんですけど、そんなシーンは一切ありませんでした。


冬期講習に行ってしまう雫に、ヤマケンとずっと一緒にいるなんて嫌だなと思うハル、「わたしはハルのことが好きだから大丈夫」といまいちハルの気持ちを理解しない返しをしちゃう雫のエピソードもなかったの悲しすぎる。雫とハルは思いあっているのにいまいち恋人にはなれない拙さが、彼らの愛しさの核なんじゃないですか…。ていうかヤマケンと雫ちゃんは同じ予備校で、模試で順位を争うライバルっていう説明すらなかったと思うんですけど。ハルと小学校から同じだったから、なんでかたまり場のバッティングセンターにいる怪しい人でした。


映画ではあまりにも突然にハルが「雫が好きだ」、夏目が「みっちゃんが好きです」、ヤマケンが「水谷さん、おれにしときなよ」と告白するんですけど、何の根拠も丁寧に描かれていなくて、常に戸惑う2時間でした。PV稼ぎの漫画のあらすじを淡々と述べるブログを読んでいる感覚です。どのキャラにも全く思い入れが感じられなくて、原作で生き生きしていた登場人物たちが不憫で不憫でこれを書きながら泣きそうです。


2時間に収めるためなのかなんなのか、ハルからヤマケンに嫉妬するシーンや、雫ちゃんがハルと接近する大島さんにもやもやするシーンが、夏目ちゃんがみっちゃんさんに心惹かれる瞬間など、全然血が通っていなくてがっかりでした。あくまで形式上書きましたよー、これで察してくださいね、という冷たさ。そんなんで感情が動くわけないやろ、告白してしまうわけないやろ!!!!
あとハルは失踪なんかしないんですけど…手紙もくれるしさ…。
ほんとは雫ちゃんはとにかく勉強がしたくて、バッティングセンターにたむろしたくなんかないのに、毎回ハルと夏目ちゃんに強引に誘われて遊びに付き合っているんですよね。それが映画では名古屋(ハルが拾ったニワトリ)の小屋づくりをしただけで、全員定番メンバー化している不自然さ。かつてハルに金をたかってた人間までわいわいやっている必然性がなにも感じられませんでした。


脚本読んだ後読み返さなかったのかな?これじゃあ誰にも感情移入できないなって思わなかったんですかね?そうじゃなければ、脚本家がサイコパスなんだと思います。原作を読んでこのまとめ方をするのは全く理解できません。ストーリーは、「登場人物の感情が動く→行動する→物語が動く→誰かの感情が動く→…」が普通の流れだと思うのですが、この映画は進行上告白することが決まってるから、そうしているだけ、という事務的なシーンが多くて、ほんとにほんとに悲しいです。こんな脚本演じるのも気の毒です。


脚本家は金子ありささんという人でキャリアも長いようなので、こんな粗悪な脚本を書くとは信じがたいです。もしかするとゴーストライターなのかもしれません。忙しいから、原作あるしアシスタントに書かせちゃおう、みたいな。知らんけど。上がってきた脚本もあまり直せず、とにかくスケジュールがなくて、はい!撮影だ~!となってしまったんですかね。やりきれねえ。


金子ありさ - Wikipedia



監督も悪い

 
月川翔監督作品は「黒崎君の言いなりになんてならない」を見たことがあって、原作と方向性が違ってもちゃんとエンタメとして面白いものを作ってくれる人という印象がありました。「君の膵臓を食べたい」を観に行った友人がもう一回見たいと絶賛していたので信用できるかなと。


でも今回の映画はダメでした。ハルの登場は、駐車場でいじめられてる生徒を発見して、いじめてるやつらをぶん殴るところから始めるんですけども、ぶん殴った人間が地面にバウンドするんですね。ワイヤー使ってすごい吹っ飛ぶし。ギャグ漫画とかだったらわかるんですけど、いやケンカはこの作品のメインコンテンツじゃないし、そんな力入れんでも…って引いてしまう。軽率にワイヤー使われ過ぎてほんとしんどい。ハルに雫が駆け寄って胸に飛び込みキスするまでのスローモーションにも使われてて。いや、ジョジョかよ…「ズキュゥゥゥゥン」かよっていう…


岡崎体育のMUSIC VIDEOのPVで、体育が怪しげに笑いながらケチャップをこぼし続ける映像に「え、え、なになになに?どういう気持ちで見てたらいいの??」とツッコミを入れるんですけど、そんな気持ちになりました。※3:00あたりのシーンです。


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別にコメディに振り切ってるならいいんですけど、そういうテイストでもないというか。いかにもいいシーンっぽい音楽をしょっちゅう入れるし。やり方が作為的すぎて、もう少しうまくできるでしょってイライラしてしまいました。音楽に頼ってここ感動してるところですー!今、彼ら何かしら思うところありました!そういうシーンです!と主張しなくちゃいけない脚本なのがしんどい。動揺した時に、画面がゆらゆら揺れて傾いたりとか、演出がコテコテでほんとどうなんですかね。ぞわぞわする。月川翔も忙しすぎるんじゃないでしょうかね。全編通して一貫した「これを観て欲しい、こういう感じでやりたい」みたいな軸が感じられなくて残念でした。じっくりいいものを目指してほしいです。



音楽、西野カナとのマッチングの悪さ


西野カナの曲から数曲選んで映画の随所に入れるっていう企画が行われていたんですけど、別に映画的に必要だから入ってるわけではないんだろうなと感じてつらい。こんな指摘はもはや野暮かもしれないですけど、東宝ソニーミュージックの癒着的なアレで仕方なかったやつなんですかね。


それにしても西野カナとなりの怪物くんの組み合わせしんどくないですか。雫ちゃんとハル、夏目ちゃん、ササヤン他大勢の仲間たちは「ありがと~キミがいてぇ↑くれて ほんとよかったぁよぉ~~~」みたいな言葉では語りつくせない思い出があると思うんですよ。特に前3人は他に友達もいないし、部活もやっていないし、クラスの中心的な人物には味わえない王道の青春じゃないからこその物語と違いますか。はぐれものたちの友情を、王道ど真ん中みたいな顔をした西野カナに称えられてもな…って陰キャだった私だから思うのかもしれませんが。


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この曲となりの怪物くんのタイアップではなくないですか…?もし西野カナとなりの怪物くんを読んでこの曲書いていたとすると解釈違いですね…。西野カナの詞は誰が聞いても分かりやすい多義を含まない歌詞で、基本的には女子の王道を描いているものです。そもそも映画における音楽は、言葉にできない、はっきりとは言えない混沌とした複雑さを添えるものだと私は考えています。映画の音楽は世界観に奥行きを持たせるのが役割なので、背景であって欲しいです。明確なストーリーがあるわけではなく、人間関係の中の淡い色の感情の移ろいを描く本作品においては、淡い色の音楽でないと世界観に乖離を生んでしまいます。その点、西野カナの曲は原色なので塗りつぶしてしまったように感じました。だから西野カナが悪いんじゃなく劇伴には向いてない音楽だと思うのです。


西野カナの劇伴ありきならPV的な映画にするという方向もあったかもしれないけど(RADWIMPSに対する「君の名は」のように)、そう考えるととなりの怪物くんというチョイスはなしだと思うので、やっぱりとなりの怪物くん西野カナを引き合わせたのが悪かもしれません。まだ主題歌だけなら西野カナでも誰でもいいんですけど、挿入歌としていっぱい入れたい!って誰のアイディアなんですかね。相容れませんね…。


ソニーミュージックにしなくちゃいけなかったなら菅田将暉がよかったな。ばかになっちゃったのかなとかかなりしっくりくるんじゃないですか、秀才雫ちゃんが恋して合理的でないことを考えてしまう戸惑いと重なっていい感じだと思います。


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となりの怪物くんを読んで陰キャの物語だと思うのも、西野カナ陰キャの気持ちなんか拾ってないと思うのも、学生時代に陰キャをやっていた私だからであって、リア充ウェイの月島翔や西野カナは、「まさに!となりの怪物くんもの演出にぴったりだぜ!」と感じてやっている可能性もありますが、いずれにせよ解釈違いでした。



美術


この映画で土屋太鳳ちゃん以外に褒められるところがあるとすれば、セットがすごく可愛かったこと!雫ちゃんちも、バッティングセンターも、ハルの部屋もくそおしゃれでした。ハイセンスすぎて物語の雰囲気にいまいちマッチしていない気もしますが、一生懸命いいものを作ろうという意識があるのが分かって良かったです。太鳳ちゃんも美術スタッフさんたちが丁寧に作ってくれたからこそ、こんなに素敵な映画に仕上がりました!みたいなコメントをインスタでしていました。ほんとにいい子です。

ただ、制服はいただけませんね。雫たちの高校は鮮やかな赤で、ヤマケンの高校は真っ青のやつでした。そういうの原作を反映しなくていいんですけど…。漫画は誇張表現であるということを理解していないんですかね。そういうコスプレ的な世界観にするなら、映画の構造も演出も寄せて欲しかったんですけど、この映画はあれこれとっ散らかし過ぎで原作がかわいそうですね。これが臙脂のセーラーと紺の学ランだったらこんなこと言わなかったのに。



キャスティング


なんだかやたらと手垢のついた俳優の起用が多くて気になったので、一人ずつレビューしていこうと思います。

菅田将暉(吉田春)

菅田将暉はきっと漫画を読んで撮影に臨む俳優なので、演技もそれなりでした。彼なりのベストを尽くしたと思う。しかしあまりに華奢なのでケンカが強そうには全然見えなかったです。私の原作の印象では、背が高くてがたいがよくて天真爛漫ですこしぼけっとした笑顔が似合う感じなので、シャープな菅田将暉では作画が違うかなと。誰が良かったんだろうな。中川大志とか考えたけど、あんまりへらへらしないですよね。学生役だと溺れるナイフ帝一の國も良かったんですけど、今回の役は微妙。私服も制服ももう高校生には見えないですね…。

土屋太鳳(水谷雫)

この映画W主演だったんですね。完全に土屋太鳳の映画でした。今までボロクソに感想を言いましたが、土屋太鳳の演技だけは本当にハマっていました。彼女めちゃくちゃ真面目なので、役とも親和性が高かったんだと思います。姿勢の良さ、所作の美しさなど一昼夜では身につかない彼女の素養が存分に生かされた作品でした。土屋太鳳ファンにだけはぜひ観て欲しい映画です。土屋太鳳だけは、原作のイズムをうまく映画に昇華していると感じました。前述のように不親切設計な脚本だったんですけれど、土屋太鳳が出てくるとなんとか説得力があるので、彼女なしではこの映画は本当に成り立っていなかったと思います。言葉が足りないです。褒め足りない。もっといい脚本だったらなあ!この映画で唯一、ハルが土屋太鳳を好きになることだけは共感できます。脚本に書かれていなくても、一生懸命に人生にとりくむ人柄の良さが佇まいに出ている…!スタイルの良さもあると思います。土屋太鳳ちゃん決してモデル体型ではないのですが、ダンスのおかげか脚の形がとてもきれいでかっこいい。均整のとれた美しく正しい体型をしているんです。性格が現れてる。このへんも雫ちゃんにぴったりです。

土屋太鳳は実写化映画に散々起用され過ぎて、無駄にアンチがいるイメージがあるんですけど、本当に土屋太鳳は誠実な人なので少女漫画の翻弄される芯のないヒロインには似合わないのが原因なんじゃないですかね。土屋太鳳あんまり好きじゃないしな…と思っている菅田将暉ファンの女子高生たちに見てもらって、思ってたよりもかわいいじゃんと思ってもらえたら嬉しいです。なんでこんなに土屋太鳳の肩を持つのかというと「まれ」のヒロインをやる数年前からブログ「たおのsparkle day」をずっと読んでいたからです。今はほとんどインスタグラムに移行していて連携投稿が多いのですが、作品ごとに役者としてクリエイターとして丁寧に向き合っていることが感じられるキャプションが素晴らしいです。「累」も期待しているよ…!

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古川雄輝(吉田優山)

古川雄輝ってイケメン枠という雰囲気で扱われてますけど、めちゃくちゃ童顔ですよね。ほっぺたもちもちしてそう。年上役よりヘタレ系の年下のヒーロー役が合いそうだなと思うんですけどあんまりそういうのは見ないですね。というわけであんまりハルのお兄さん感はありませんでした。無駄に声がいいよね。あと原作に髪型寄せたのが似合ってなくてかわいそうでした。今調べたら87年生まれなんですね…。全然見えない…。22歳くらいだと思ってました。菅田将暉より年下なのに違和感だなとか思っちゃった...。

山田裕貴(山口賢二)

山田裕貴は「ストロボエッジ」の安堂役がすごく好みだったので、今回も当て馬ということで期待していったのですが、あんまりしっくりこなかったです。山田裕貴はちゃらちゃらの兄ちゃん役が似合いますね。ハイローの鬼邪高校の頭・村山も超好き。個人的なヤマケンのイメージはもっとお堅い雰囲気なので、ちょっと違ったかなと。脚本の都合上見せ場があんまりなくてもったいなかったですね。あと、コスプレ感がでちゃうので金髪にしなくても良かったんじゃないかと思います。彼ももう高校生役は厳しいのかなと思いますが「あの頃、君を追いかけた」は楽しみにしています。

池田エライザ(夏目あさ子)

夏目ちゃんのキャラクターというのは本人はいたって真面目なのに、つい偏差値の低さが露呈してしまうアホさなので、そんなにアホっぽいしゃべり方をさせなくても良かったのになと思いました。池田エライザちゃんは見た目からして頭の悪そうな可愛さ(ほめています)を備えているので夏目ちゃんの適性は十分です、自然体な演技がみたかったです。エライザちゃんは「みんな、エスパーだよ!」とドラマの「ホクサイと飯さえあれば」が大変に好演だったので、若いうちにがんがん仕事して可愛さを残してほしいです。ただ彼女も茶髪じゃなくて黒髪でやって欲しかったな、老けて見えるし。もっとかわいく撮ってあげようという気概が感じられなかったですね。

浜辺美波(大島千づる)

浜辺美波ちゃんは顔の造形があまりにいいので、かわいくて当然なんですけど透明感があふれていらっしゃいました。もう少し上手く雫たちと絡む脚本だったら良かったのにね。ハルに告白もさせてもらえなかったし。完全に脇役で、進行上いてもいなくてもいい存在にされていたのがもったいなかったです。ちゃんと出てくるたび可愛かったので、全体としては重要な要素を果たしていました。個人的には土屋太鳳の次点で原作を再現していたと思います。

野岳(佐々原宗平)

さすがに佐野岳は高校生にみえない…!一番厳しかった。回想シーンで中学生をやってたときは笑いをこらえていました。ササヤンって背が低いのを気にしてる小動物系のイメージだったので、たしかに佐野岳は背が高くはないかもしれないけど、顔が完成され過ぎでは…と思いました。菅田将暉より圧倒的にケンカ強そうだし。ササヤンも夏目ちゃんに告白させてもらえなくてかわいそうだったね…。

佐野史郎(ハルのパパ)

圧がすごかった。いい配役だと思います。それっぽい。

速水もこみち(みっちゃん)

速水もこみちってそういえば大根だったな…と思い出しました。夏目ちゃんの告白を振るこの映画の数少ないエモいシーンを棒読みで台無しにしていたのが印象的でした。速水もこみち速水もこみちなだけで正直ウケちゃうので、夏目ちゃんがなぜみっちゃんを好きになるのか共感が難しかったですね。

田口トモロヲ(雫のパパ)と弟

弟はかわいくって雫がブラコンなのも分かる~~と思えて良かったです。田口トモロヲはなんだかな…平和な家庭にいることに違和感。

入山法子(担任)

頼りない担任感が上手かった!この映画で3番目にいい演技でした。出番3回くらいしかないですが。

西田尚美(ハルの叔母)

ハルの過去パートはほんとに説明不足でよくわからんので、ばっさりカットで良かったのではと思いますが、西田尚美を使ってまでなにをやりたかったのか分かりかねますね…。まじでくそ脚本。取捨選択へたくそ。西田尚美さんはほぼ声だけで不憫な保護者感出ていてすごいですよね。

地学の先生

「吉田くん、進学しないなんてもったいないですよ」みたいなセリフしかないんですけど、これも名の知れた俳優でした。ど忘れしちゃったけど。こういうカメオ出演的なの凝るくらいだったら脚本しっかりしてくれよまじで。



最後に


これ全部読んでくれた人はいるんですかね。
すでに9000字近いんですが。
あんまり書くの早くないので映画を見ていた時間の2倍はこの映画のこと考えています。


原作レイプ」という言葉がありますね。「自分が漫画を読んで感じていたものと違うものが出てきたからって、二次創作で推しカップリングが違うみたいなものでしょ。さすがに言い過ぎでは」と思っていました。しかし解釈違いでも、すごくいい作品にしたいという気持ちが伝わってくれば、こういうのもありかな、と納得できるんですよね。好きな同人作家さんなら推しのカップリングじゃなくても「これはありだわ…尊いな…」と思えるし、新しい性癖の扉が開くこともあるし。


この映画は、キャラクターの演出は解釈違いだとしても、脚本の粗悪さだけは映画としてストーリーが成り立っていないレベルだったので、物語に対する意識の低さを感じました。漫画が丁寧にやってきたところだと思うんですけど。最近の日本映画は漫画原作ばっかりなのは、漫画原作の名を借りて、原作ファンと俳優のファンで動員したいだけですよね。漫画って描くのすごく大変だと思うんですよ。基本的には一人でストーリー考えて、一人で作画して、一コマ一コマ積み重ねてようやく出来上がります。とにかく時間がかかる。となりの怪物くんは完結までに5年以上かかっています。映画となるとありえんくらいの大人が関わって、仕事して「あれ?原作の良さ出てないかもしれないな」と思っても罪悪感は人数で割って薄くなってしまうんでしょうか。漫画を描くよりも断然スピーディーに映画化して消費されていく少女漫画がありすぎて、悲しくなりますね。消費されるための少女漫画もあるとは思うのですが、となりの怪物くんはただのラブコメではなく、学校の集団の中でキラキラできなかった人たちが集まって傷をなめあって、「友達ってなんだろう、どうして一緒にいるんだろう」という基本的なところを丁寧に向き合っている作品だと、私は思っていたのでそこが無視されているのが、自分のことのように悔しく思って書きなぐってしまいました。


映画による漫画の実写化消費は、バッタの蝗害(こうがい)に似ているなと思います。バッタの群れの集団内の密度が多くなっていくと、普段の孤独相という見た目から相変異が起こり、群生相という飛翔と摂食に特化した見た目に変化してあらゆる植物を食い尽くしながら移動する現象です。作家の方が丁寧に漫画を描いて耕してきた土壌で育ったファンを、映画プロデューサーが引き連れてきた製作委員会であるバッタが食い尽くしていくイメージです。相変異したバッタは移動する先々で食糧生産を困難にし飢饉に追い込むのですが、今の日本映画界とかなり近しいんじゃないでしょうか。映画の製作はバッタではなく、土壌をさらに潤す恵みの雨のような存在であって欲しいです。こんなゴミ作品を見て、日本映画面白くないな…って中高生に思われるのは映画界の損失です。映画をみてわくわくしてもらわなければ、未来の顧客になりえません。漫画原作は映画を見てもらうきっかけとしてはとても良いと思うので、良質な映画との出会いになるよう努力を望みます。


映画レビューサイトを見たら、楽しんでいる人が結構多くて、真剣に映画を見たい人には見られていないのかな…みんな漫画原作映画に期待を寄せてないのかな…とまた悲しくなりました。映画を見て同じようにもやもやしている人に届いたら嬉しいですが、そもそもそんなにたくさんの人間がこの映画を見ていないでしょうね。映画を見てない人もわたしがどれだけとなりの怪物くんという漫画を大切に思っているかは感じてもらえたのではないでしょうか。ろびこ作品はとなりの怪物くんだけじゃなくて、僕と君の大切な話も面白かったので、ぜひ読んでください。